大垣の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

こんにちは ゲストさん 会員登録 | ログイン

歴史探訪

岐阜県大垣市歴史探訪
大垣市の概要
大垣市は、岐阜県濃尾平野の北西部に位置し、日本列島のほぼ中央に位置しています。古くから東西の経済・文化の交流の拠点として栄え、大正7年(1918)4月1日、全国で71番目の市として誕生しました。西濃圏域の中心都市としての基盤を着実に築きあげ、中部圏有数の産業文化都市として発展しているまちです。

大垣市のあゆみ
大垣市は、古くから人々が文化を築いていたまちのようで、多くの土器・木製品・銅鐸が出土しています。市域北西部には、4〜5世紀の前方後円墳をはじめ、竪穴式、横穴式の古墳が発見され、貴重な副葬品も出土しています。
大垣は昔より、都へと通じる交通の要地として機能し、一級国道ともいえる「東山道」が通っていました。そのためか、日本歴史上の内乱に、大きくかかわり合ってきたまちで、そのほとんどが歴史上重要な出来事といわれています。
明治4年(1871)7月の廃藩置県によって、大垣藩は大垣県となり、さらに同年11月、美濃の諸県は岐阜県に統合されました。明治21年(1888)4月、市制・町村制が公布され、大垣は明治22(1889)年6月に近隣の14ヶ村を合併し、大垣町となりました。以後、大正7年(1918)まで、大垣町として今日に至る発展の基礎づくりが進められてきました。
大正7年(1918)4月1日、岐阜県安八郡大垣町は市制をしくこととなり、大垣市が誕生しました。そして、大正14年(1925)には、「都市計画指定都市」となり、大工場の誘致、新設道路の着工などの10万都市構想を進めていく事となりました。
しかし、その後、世界恐慌が起こり、日本中で深刻な不景気となっている中、戦争も起こりました。しかし、日本は敗戦してしまい、その結果、日本中が多くの命、資産、財産を失うこととなり、大垣市も同様に数多くの犠牲を出してしまいました。
そして終戦後、日本は、戦後復興に力を注ぎ、新たな時代へと踏み出すこととなりました。大垣市も産業を発展させるとともに、近隣の町村を合併、生活環境施設の整備を整え、近年では、生活環境にIT技術などを取り込んだ「未来のまちづくり」を推進し、近代都市へと発展を遂げ、現在に至ります。

大垣市の名前の由来
大垣の由来は、「大きな柿を産するところ」という事から、古くは「大柿」と呼ばれていたそうです。それが、荘園などの形成によって治水が進み「大きな垣(堤)を巡らす所」というように変わっていったようです。


大垣市の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 大垣市歴史民俗資料館
住所: 〒503-2227
岐阜県大垣市青野町1180-1 [地図を見る]
電話番号: 0584-91-5447
開館時間: 9:00〜17:00(入館は、閉館の30分前まで)
休館日: 月曜日の午後(祝日の場合を除く)
火曜日(祝日の場合は翌日)
祝日の翌日 (日曜日、火曜日の場合は翌日となり、月曜日、土曜日の場合は翌々日)
年末年始(12/29〜1/3)
入館料: 大人100円、子供50円







特集

ケータイで無料釣りゲーム!

e-まちタウン携帯版で無料釣りゲーム「釣り☆タウン」が遊べる!

改行

ドラマ・映画ロケ地ガイド

大河ドラマ功名が辻

場所:墨俣一夜城
資料館となっている模擬城と馬柵がある

改行